TRUE BELIEVER

もうふりむかない 戻れない昨日に 涙捨て 限りない明日を 信じていたい

門限破り

ガキんちょの頃・・・そうね、小学校低学年ぐらいやったかな。
小さい子供のいる家では当たり前のことなんだろうけど、我が家にも5時だったか6時だったか忘れたが、門限なんてモンがあってね。

とはいいながら、遊びたい盛りのガキんちょにしてみりゃ、友達と楽しく遊んでる最中に遊びを投げ出して帰るなんて、なかなか難しいわけさ。ついつい遊び過ごして門限破って叱られる、なんてことを懲りずに度々繰り返しているうちに、ある日ついに親から大目玉を喰らってしまった。

んで、それからしばらくは、さすがに大人しく門限守って帰ったんだけど。
ある日のこと、友達と公園で野球やってて、試合が白熱したお陰で帰るタイミングを逸してしまい、門限をかなり過ぎてしまった。

ガキんちょのおれは、どうすれば怒られずに済むか小賢しく考えたね。
んで、思いついた作戦は、先にしおらしく謝っちゃうこと。
家に着くなり、おれは
「ただいま、遅くなってごめんなさい。」
なんて、若干うつむき加減で沈んだ表情を作り、いかにも反省してますって態度でそう言った。
「もう今度から気をつけなさいよ。」
そんなおれを、母親は快く許してくれた。
「はぁい!」
なんて返事しながら、おれは
「上手くいったぞ、しめしめ。」
なんて具合に内心でほくそ笑んでた。(ホント、どうしようも無いクソガキだったな。)

んで、その翌日からおれは、連日遅くまで遊び倒した。
どんなに門限を過ぎていても
「遅くなってごめんなさい。」
って言いさえすれば許してもらえるんだから、こんなチョロい話は無い。

そんなおれを母親は不問に帰し、最初の数日間は黙って泳がせていた。
そして、1週間ほどが過ぎたある日・・・。

いつものように、遊び呆けて帰ってきたおれ。もちろん、門限はとっくに過ぎて外は真っ暗になっている。
玄関で仁王立ちになっている母親に、半ば挨拶代わりとなった
「ただいま、遅くなってごめんなさい。」
を言い終わるかどうかのうちに、おれは母親から思いっきりビンタを喰らっていた。

「毎日毎日ごめんなさいごめんなさいって、本当に悪いと思って謝ってんの!?」
「ごめんなさい、って言うたら何でも済むと思ってんの!?」
「何でもかんでも謝って済むんやったら警察いらんやろ!?」
そうしておれは玄関から叩き出され、入り口のドアに鍵をかけられた。
「開けて〜、開けて〜!ごめんなさい!ごめんなさい!」
って、おれは泣き叫びながらドアをドンドン叩いていた。そのとき初めて、おれは上辺じゃなく心から母親に「ごめんなさい」を言った。

それからしばらく経って、母親は玄関のドアを開け、おれを中へ入れてくれた。おそらく時間にして30分ぐらいだったと思うけど、締め出されていた時間は子供のおれにはずいぶん長く感じられた。
その頃すでにお風呂にはひとりで入っていたおれだけど、その日は母親に誘われて、久しぶりに一緒にお風呂に入った。湯船に浸かりながら、母親は何故あんなに厳しく叱ったのかをおれに穏やかに言って聞かせた。

当時のおれは、正直言って母親の言葉を半分ぐらいしか理解しきれていなかったと思うけれど。
今なら、母親がおれを叱った理由がよく分かる。そして、自分自身の何がいけなかったのかも。

とりあえず、子供の頃の思い出話はここでお終い。
だけど、この話題には続きがある。(というより、本題はこれから。)

長くなるので続きは次回に。

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  1. 2008/10/04(土) 00:21:08|
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おれが育てた

おれが中学2年生のときに、ひとりの体育教師が他校から異動してきた。
その体育教師が前にいた中学校は、当時プロ野球で活躍していた某選手(セ・リーグ某球団に所属していた有名な元投手。)の出身校で、その体育教師は彼を受け持ったことがあるらしかった。クラス替えが行われた4月の最初の体育の授業で、彼はそのことをさも自慢げに話していた。
「おれが育てた○○は素晴らしかった。」
まるで口癖のように、その体育教師は事ある毎に繰り返した。

お前何が言いたいんだ?おれは、いけ好かないその体育教師が鬱陶しくて大嫌いだった。
たまたま授業を受け持った生徒のひとりが、後にプロ野球選手になっただけじゃないか。だいいち、べつにお前ひとりが彼を育てたわけじゃないし、お前がどこまで彼を育てたかなんて、怪しいもんだろう。

そんな4月のある日、おれはちょっとした事件(笑)↓を起こす。
http://truebeliever.blog103.fc2.com/blog-entry-443.html

この事件で、おれはこっぴどく叱られる羽目になったのだが。(当たり前じゃ・笑)
それが原因で、おれは体育の授業に遅刻してしまった。

遅れて体育館に入ってきたおれを体育教師が睨みつけ、事情を問う。
おれはグラウンド整備してる間に落とし穴掘って陸上部の女子をハメたお陰で野球部と陸上部の顧問に呼び出し食らって説教されてたので遅刻しました、って端的に説明した。
「お前は野球部か。」
体育教師は口元を歪めるような笑いを浮かべた。明らかに、侮蔑の感情がこもっていた。
「同じ野球部でも、おれが教えた○○とは大違いやな。」
そして、彼はハナで笑った。
「そんなことじゃ○○にはなれんぞ。辞めてまえ!」
トドメの一撃だった。

チッ!

思わず出た舌打ち。体育教師はそれ以上何も言わなかったが、明らかに何か言いたげな表情を浮かべていた。

その日のバスケットボールの授業は、荒れた。(いや、荒れたのはおれだけだったかもしれないが。)
体当たりや強引なラフプレーのオンパレードで、クラスメートのひとりと一触即発になった。(いや、クラスメートには関係ないことだし全面的に非はこっちにあったし、彼には後で謝ったんだけどね。)
ロングパスを投げるフリして審判を務める体育教師を狙い、ボールを投げた。それも2度。残念ながら2回とも外したけど。
シュートすると見せかけて、ゴールポストのはるか上の窓にボールを投げつけた。窓は割れこそしなかったが、バイィィィンと派手な音を立てた。

今思い返すと、我ながら恥ずかしいヤツだな。
まぁ、若気の至りということでご勘弁。

それから1年間、おれは体育の授業が憂鬱で仕方なかった。
いや、基本的に体を動かすのが好きで体育の授業自体は楽しんでたけど、その体育教師の顔を見るのがイヤでイヤでたまらなかった。

最近ネットで
「○○はワシが育てた。」
っていうセンイチ組長のAAを見るたびに、おれはあの体育教師の見下したような笑いを思い出す。

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  1. 2008/09/08(月) 07:58:55|
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宿題やったか?

今朝の通勤電車はいつも以上に混雑するなと思ったら、新学期が始まってたんだね。当たり前だけど、やけに夏服の学生が多かったよ。

♪ババンババンバンバン(宿題やったか?)

・・・なんて、今の子供たちは知らないだろうな。(笑)

ところで夏休みの宿題といえば。
早いうちに宿題を全部片づけて思いっきり夏休みを満喫するタイプ、毎日コツコツと計画的に消化するタイプ、夏休み終盤になって尻に火がついてからようやく取りかかるタイプと大きく3つに分けられると思う。(正確にはあとひとつ、ハナっから宿題を提出する気が無いなんてツワモノもいるけど、まぁそれは置いといて。)

おれは間違いなく、尻に火がつくまで動かないタイプだったな。
競馬で言えば道中は最後尾につけて、直線一気でゴボウ抜きするディープインパクトみたいなタイプ。(物は言いようだな・笑)
あ、だってホラ、夏休み明けには「宿題テスト」なんて実施されてたでしょ?だから、あんまり早い段階で宿題終わらせちゃうと、テストまでに忘れてしまうからさ。(なんて見え透いた言い訳をしてみる・笑)
あと全然関係ないけど、食べ物に関しては好きなものは最後まで残しておくタイプです、おれ。

ちなみにおれが子供の頃は、自力で宿題を解いたあと、一緒に配られた解答集をもとに答え合わせをして、間違えた箇所は赤ペンで訂正したうえで提出しなければならなかったんだけど。

馬鹿正直にやってられますかっての。
ええ、模範解答を丸写ししてましたが、何か?(笑)
いや、たぶんおれに限らず同じことしてたヤツ、結構いると思うんだが。ハイ、正直に手を挙げて〜。

ただし、当然ながら全部丸写しで全問正解だとバレるから、何問かはわざと間違えたり、分からなかったフリして空欄にしておく必要がある。あと、いかにも「真剣に悩んで何度も書き直しましたよー。」と言わんばかりに、消しゴムで消して書き直した形跡を適度に残しておく細工も忘れてはいけない。それから、全体の正答率が自分の学力に見合った数値になるように調整しないと怪しまれるので、その点にも注意。

ついでに言っとくと、国語の問題で「○○という語句を使って短文を作れ」なんて問題は解答の丸写しではダメだし、古文の口語訳や英文の日本語訳なんかは一字一句丸写ししてたんじゃバレてしまうので、模範解答の文面を多少アレンジする必要がある。あと、数学に関しては答えだけじゃなく、途中の計算式までキチンと書かなきゃいけないのは言うまでもない。

まぁ、そうやって完全犯罪(笑)を目論んでも、先生にバレてしまう間抜けっていうのはやっぱりいるんだよね。幸いにして(?)おれのアリバイ工作は完璧(笑)だったようで、バレたことは1度も無かったけど(いや、決して自慢することじゃないんだが・汗)、解答丸写しがバレて大目玉を食らうヤツ、クラスにひとりかふたり必ずいた。

んで、そんなときに先生が必ず言うお約束のセリフ。
「自分の力で考えて解かないと身につきません!」

いや、悪いけど先生、そりゃウソだわ。(笑)
実際おれ解答丸写ししてたけどさ、写してる間にそれなりに覚えていったし。つーか、あれだけの膨大な量を写してたら、そのうちイヤでも覚えるって。

皆さんは夏休みの宿題とか、どんな想い出がありますか?

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  1. 2008/09/02(火) 00:05:07|
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歪んだ眼 Part2

前回↓の続き。
http://truebeliever.blog103.fc2.com/blog-entry-527.html

ひとしきりフルボッコにされた後、おれは芋洗坂に職員室まで連れて行かれた。芋洗坂のお陰で職員室にたどり着けたことには感謝すべきだったのかもしれないが、もちろんおれはそんな気持ちになれるハズなどなかった。

おれは職員室の端の小部屋に連れていかれた。おそらく問題を起こした生徒の指導に使われる部屋なのだろう。
少し遅れて、おれの担任の体育教師が入ってきた。芋洗坂は興奮しながら、目の前にいる生徒が自分に対して如何に無礼で屈辱的な仕打ちをしたか、おれの担任に向かって説明を始めた。芋洗坂の言い分は一方的な誤解と偏見に満ちていたが、余りにも己れの理解の範疇を越えた出来事ですっかり頭のなかが真っ白になっていたおれは、弁明しようとか誤解を解こうとかいう発想が一切湧いてこなかった。完全に思考停止状態に陥ってしまっていた。

仮にここで担任が事情を察してくれて上手くフォローしてくれていたら、おれはまだ救わていたかもしれない。
だけど、脳味噌まで筋肉でできていそうな筋肉バカの体育教師は、残念ながらそこまで頭が働かない男のようだった。
担任はおれに一切の事情を訊ねることもなく、芋洗坂から聞いた話だけを根拠に、おれの行いを激しく責めた。もしかしたら担任は、最初が肝心だと思って敢えて必要以上に厳しくおれに当たったのかもしれない。いかにも思慮の浅い体育会系の筋肉バカが考えそうなことだ。

休み時間の終わりと授業の始まりを告げるチャイムが鳴ってもなお、1vs2の変則タッグマッチは一向に終わる様相を見せなかった。おれの耳には、すでに芋洗坂の声も筋肉バカの声も届かなくなっていた。

おれは決して素直な良い子なんかではなく、むしろ生意気でひねたガキだったから、先生に叱られたことなど昔から数え切れないほどあった。
だけど、少なくとも今までは何故自分が叱られているのか納得できていたし、悪いことをしたのは自分なのだから叱られて当然と諦めもついていた。逆に言えば、自分が間違ったことさえしなければ叱られることなど無いと信じ切っていた。なのに・・・。
「おれは何でこんなに怒られてんの?」
「おれはここまで殴られなきゃいけないようなことしたの?」
ただただ、おれは頭のなかで自問自答を繰り返すだけだった。両目からは相変わらず塩っ辛い水が際限なくあふれ出していた。

「謝れ。」
やがて筋肉バカは、おれに芋洗坂へ頭を下げるよう強要した。
「謝れって言うてるやろが!」
筋肉バカは言葉が出せないでいるおれの頭を殴りつけると、無理矢理おれの頭を押さえつけて頭を下げさせた。
「すみませんでした。」
って言おうとしたのが、嗚咽のせいでうまく言葉が出ずに
「ういわえんでいあ。」
なんて意味不明な発音になってしまい、何を言ってるか分からないおれに、芋洗坂が不服そうに捨て台詞めいた言葉を吐いておれを睨みつけると(両眼はあさっての方向を向いていたけれど)、部屋から出て行った。何故ここまで敵意に満ちた態度をとられなければならないのか、おれは最後まで理解できなかった。

そんなわけで、時間にして20分ぐらい経っただろうか、おれはようやく解放された。
担任に連れられて教室に戻る。すでに教室では社会科の授業が始まっていて、静まりかえった教室のドアを開けると、にわかに教室がざわつき、クラスメートの視線が一斉にこちらに集まった。
目を真っ赤に泣き腫らしてヒクヒク言ってるおれの一挙手一投足を全員が注目する。担任が社会科の教師に何やら耳打ちするように事情を説明している。クラスメートたちが、ふたりの教師が、盗み見るように時折こちらをチラチラ伺っている。

晒し者にされた気分だった。
周りの全員がおれを嘲笑しているように感じた。
「お前らこっち見んな!」
って叫びたかった。

後に様々な意味で波乱の中学校生活を送ることになる(正直あんまり思い出したくないことや、懺悔しなければならないことや、ちょっとブログでは書けないような洒落にならないこともいろいろやらかした。)おれだけど、今にして思えば、この出来事はそれを暗示していたのかもしれない。
そして、今のおれの人格が形成されるに至る過程で、この出来事は大きく影響を及ぼしたとも思っている。

教育現場には、無神経な側面が多々あるものだ。
そして、教育現場に限らず何らかの集団に属して社会を形成する以上、無神経に傷つけられるリスクは常に存在する。社会とは所詮そういうものなのだ。だから、自分の身は自分で守るしかない。それをイヤというほど分からせてくれた薄らバカ面の芋洗坂と筋肉バカには、感謝すべきなのかもしれない。

もうひとつ、この一件を通じて薄らバカ面のふたりに教わったことがある。
それは、人を叱ることの意味。

叱るという行為は、もちろん時と場合にもよるが、人を教育する際に必要な手段だ。
しかし、あくまで人を叱るという行為の目的は相手に反省と成長を促すことであり、己れの感情をブチまけることではない。それを忘れてはいけない。

どんなに正当な理由があって叱ろうとも、叱られた人間は多かれ少なかれ傷ついている。だからこそ、叱り方にはじゅうぶんに配慮すべきだと思う。

何が悪かったのか?
何故叱られているのか?

叱られる当人がその点に納得したうえでなければ、どんなに言葉を尽くしても叱責の言葉は相手の心に響かない。
心に響かない叱責は、単に相手に屈辱を与える行為でしかない。そして、叱られる側が屈辱だと感じてしまっては、そこから何かを掴もうとか反省して次に活かそうとかいう前向きな発想は生まれてこない。それでは叱る意味など無いのだ。

そのことを気づかせてくれた薄らバカ面の芋洗坂と筋肉バカのふたり、今どこで何してるのか知らんが、どうもありがとう。

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  1. 2008/08/27(水) 00:10:28|
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歪んだ眼 Part1

今から20数年前のことになるのだが。
おれは中学生の頃に転居した関係で、転校を経験してるんだよね。
んで、これは転校先の中学校での出来事。書いてるうちに長くなってしまったので、エントリをふたつに分けることにする。

あれは確か、転校してまだ3日目か4日目ぐらいのことだったと思う。
詳しくは忘れたが、担任の先生から書類(たぶん転校の手続きとか、そういった類のもの。)を職員室まで取りに来るように言われ、休み時間に取りに行くことになった。

職員室はおれの教室とは別校舎のかなり離れた場所にあって、しかも学校施設の位置関係をまだ完全に把握しきれていなかったおれは、迷わずに職員室までたどり着けるか一抹の不安があった。

今にして思えば、あのとき誰かに頼んで一緒についてきてもらえば良かったのだが、おれにはまだ友達と呼べるほどの親しい人物がいなかったし、転校してきたばかりで周囲に遠慮もしていたから、不安を抱えつつも何とかなるだろうと考えて、ひとりで職員室に向かうことにした。そして・・・。

案の定というか不安は見事に的中、おれは完全に迷子になってしまった。おまけに右往左往しているうちに、おれは生徒が足を踏み入れてはいけないエリア(教師と外来客だけが通行を許されている通路。何故そのようなルールが設定されていたのかは不明。もちろん、転校して日が浅いおれはそんなルールなど知る由もない。)に迷い込んでしまった。

「おい!」
そんな折り、おれは後ろから声をかけられた。振り向くと、そこには今で言えば芋洗坂係長のような風貌をした中年教師がいた。どうやら生徒の立ち入りが禁じられている場所をうろついているおれを見咎めたようだった。

「そこのお前!」
芋洗坂は明らかに何かひと言物申してやろうといった感じでこちらに近づいてくる。しかし、何故か芋洗坂の目線はおれの方を向いていない。おれは違う誰かを呼んだのかと思い、あたりを見回した。しかし、当たり前のことだが周囲にはおれ以外に誰もいなかった。

おれは首を傾げながら、人差し指で自分自身を指さした。言葉は発しなかったが、
「ぼくですか?」
というジェスチャーをしてみせた。次の瞬間、芋洗坂の目つきと顔色が一変した。
「お前しかおらんやろがぁ!」
芋洗坂の怒号とおれの頬がバチンと張り飛ばされる音とが同時に鳴り響いた。

じつは、芋洗坂は両目とも斜視、つまり実際に見ている方向と眼球の向きが異なる病気だった。そして芋洗坂は、一部の心ない生徒たちから斜視を馬鹿にされていて、そのことを気にしていたらしかった。その点では、芋洗坂にも同情の余地が無いわけでもない。

しかし、当時のおれは転校してきたばかりで、芋洗坂が斜視であることも、それを馬鹿にするような生徒がいることも知らなかった。それどころか、おれは斜視の人物に出会ったことなど生まれてから一度もなく、斜視という目の病気があることすら知らなかった。そんなおれにしてみれば、自分が今なぜ怒鳴られて殴られているのか、さっぱり理解ができなかった。

「教師を馬鹿にするヤツは許さんぞ!」
いや、馬鹿にしてませんから。心の底から意味がわからんのですが。
おれは芋洗坂から平手打ちをさらに数発受け、襟首を掴まれて振り飛ばされた。倒れたところに蹴りを食らい、起きあがっては殴り倒され、また起きあがる。そんなことが何度も繰り返された。

おれは、自分が何故殴られているのか、さっぱり分からなかった。
そして、自分が何発殴られたのかも、さっぱり分からなくなっていた。

ただ、知らない間におれの両目から生温かくて塩辛い液体が大量にあふれ出ていることだけは分かった。

(続く)

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  1. 2008/08/26(火) 00:12:16|
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新大阪

そういえば旧ブログでも一度書いた覚えがあるな、新大阪の記事。まぁいいや。(笑)

新大阪といえば新幹線の接続駅であり、大阪の玄関口と言っても過言ではない。
んで、その新大阪からはキタとミナミという大阪のふたつの繁華街へどちらも乗り換え無しで行くことができるし、京阪神地区の主要都市にもJRが直結しているから非常に交通の便が良い。
しかも、それでいて立地条件の良さの割りに駅周辺のビルは賃貸料の相場が安いので、新大阪エリアは特にベンチャー企業やIT関連の企業が多く集まる大阪市内有数のビジネス街になっている。

そんなわけで、新大阪駅は旅行者だけでなく、ビジネスマンの利用客も多い。おれが以前勤めていた会社も新大阪に事務所を構えていたし、またおれが常駐で仕事をしていた某大手通信系企業N社(・・・って、イニシャル書くとバレバレやなぁ・苦笑)も新大阪にあったので、今から10年ぐらい前はおれも毎日新大阪駅を利用していたものだった。

今となっては出張のときぐらいしか新大阪を訪れる機会はほとんど無いけれど。
博多方面に向かう新幹線に乗って新大阪駅を出発すると間もなく、進行方向右手側にかつておれが働いていたビルが見える。
「ああ、あそこの20階で毎日仕事してたっけなぁ。」
なんて、今でも新幹線の車窓からビルを見上げては、10年前のことを思い出すんだよね。

あの頃開発してたのは、某自治体向け福祉関連のシステム。
プロジェクト自体が炎上寸前だったことに加えて、おれ自身も当時はエンジニアとしてまだまだ未熟だったから、連日連夜遅くまで悪戦苦闘してた。
まぁでも、あのプロジェクトに参加したお陰で身につけたスキルは大きかったと今振り返って思うけどね。

毎日何度かは、息抜きを兼ねて喫煙室へ足を運んでいた。
タバコは当時から遡(さかのぼ)って1〜2年ほど前に止めていたので吸わなかったけど、ソファに腰掛けて自販機で買ったコーヒーをちびちび飲んで、プロジェクトのメンバーたちと談笑しながら、窓の外に拡がる大阪の街並みを紙コップのコーヒーが空っぽになるまで眺めていた。

晴れた日には、遠く六甲の山並みまで見渡せた。
真下には新大阪駅があって、数分おきに新幹線が発着していた。当時運転を開始したばかりだった「500系のぞみ」が見れると、何だか少し得した気分だったな(笑)。

仕事が夜中まで及ぶことも珍しいことじゃなかったから、そんなときは夜景を眺めて、流れゆく車や新幹線の赤いテールランプを見つめて黄昏(たそが)れたりもした。

近くを流れる淀川で花火大会があった日には、仕事をサボりつつ喫煙室から花火見物してたっけな。

猛烈な台風で電車が止まって、帰れなくなったこともあった。
荒れ狂う風の音を聞きながらものすごい速さで流れる雲を眺め、嵐の街を他人事のように見下ろしていた。

お昼はいつもエレベーターで2階に降りていって、セルフサービスのカフェテリアを利用していた。
フットボールハンバーグ(チーズ入りの特大ハンバーグ)とカレーライスが美味しかったっけ。
580円の日替わりメニューでたまにステーキが出たときなんか、妙に得した気分になってたな。

あのとき一緒に仕事をしてた上司は元気かな。
その上司、グリコ森永事件の「かい人21面相」(いわゆるキツネ目の男)の似顔絵に洒落にならないぐらい似ていて、事件当時には実際に警察に何度か呼ばれたことがあったらしい。(しまいには「またキミか。キミはもういいよ。」って言われたとか・笑)

あれから10年・・・か。
長かったようで、あっという間だったかな。
この先の10年も、長いようであっという間に流れていくんだろうな。

空一面広がった 夕焼け見てたら
もう二度と逢えないよな 気持ちになった
二人ならんで笑った写真
届かないひきだしに しまわなくちゃ

あのころは何もかも大きく見えた
あのころは何にでもなれる気がした
遮断機ごしのぼやけた景色
気がつけば 母の背を追いこしていた

あれから10年も
この先10年も

振りむかない 急がない 立ちどまらない
君だけを ぼくだけを 愛したときを
今も誇りに想うよ
ずっと誇りに想うよ

今までと違う自分になりたくって
前髪をそろえたり 服を着がえても
君がそばにいない淋しさ
自転車のペダルにも伝わってくよ

「大きくなったら どんな大人になるの」
周りの人にいつも聞かれたけど
時の速さについてゆけずに
夢だけが両手からこぼれおちたよ

あれから10年も
この先10年も

行きづまり うずくまり かけずりまわり
この街に この朝に この掌(てのひら)に
大切なものは何か
今もみつけられないよ

あれから10年も
この先10年も

振りむかない 急がない 立ちどまらない
君だけを ぼくだけを 愛したときを

あれから10年も
この先10年も

行きづまり うずくまり かけずりまわり
この街に この朝に この掌(てのひら)に
大切なものは何か
今もみつけられないよ

(「10years」 詞/渡辺美里 歌/渡辺美里)

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  1. 2008/08/24(日) 00:28:31|
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第二の故郷

ウチの野球チームはかつておれが住んでいた大阪府北部、いわゆる北摂とよばれる地域を中心に活動している。
ただし、おれ自身は転職したり結婚したりした関係で今は別の土地に住んでいるので、野球のときはグラウンドまで車で行くか、グラウンドの最寄り駅まで電車で行ってチームメイトに車で迎えに来てもらっている。

んで、先日の野球では、ちょっと寄り道して久しぶりに思い出深い土地を見て歩きたいと思い、メンバーのお迎えに頼らずグラウンドまで電車と徒歩で行くことにした。

もう10年以上前の話になるが、親元を離れ、初めて独り暮らしを始めたのが北摂の某市だった。見知らぬ土地での新しい生活に胸をときめかせ、今までと180度異なる日々の暮らしすべてが新鮮に思えたあの頃のことは、今でも鮮明に思い出すことができる。

北摂に住んでいた期間は今までのおれの人生の僅か数パーセントに過ぎないけれど、兵庫県の西宮がおれの生まれ故郷なら、北摂はおれの第二の故郷といっても過言じゃない。

阪急電車の駅を降り、改札を出る。改札横にはパン屋さんが1軒。徹夜で仕事した帰り、ここで昼食を買って帰るのがお約束だった。それにしても、阪急の駅には何故かパン屋さんがよく似合う気がするのはおれだけか。
駅の高架下にあるちょっとしたショッピング街、野球用品を買いに行ったスポーツ店は残念ながらなくなっていたけれど、よく足を運んだ本屋さんはそのまま残っていた。

本屋さんの階下にあるのは某ミスタードーナツ。
休日にひとりで散歩した帰りに、コーヒーとフレンチクルーラーで休憩してたっけな。せっかくなので、久しぶりにここで昼食を摂った。

軽い昼食を終え、阪急電車の高架沿いの歩道に出る。ここからかつての自宅だったマンションまでは、徒歩にして約10分。ときには酔っ払ってご機嫌の千鳥足になりながら、ときには仕事で打ちひしがれて必死に涙をこらえながら、何百回となく往復した目をつぶってでも歩けそうな道をおれは歩いた。

およそ7年ぶりに訪れた閑静な住宅街は、新しい建物が増えていたり住宅のあった場所が更地になっていたりして、記憶のなかのそれとは若干異なってはいたけれど。
それでも通い慣れた道の風景は、懐かしい記憶を呼び覚ますに十分だった。

選挙の投票に何度か訪れた中学校の外壁に沿って左折する。右手には児童公園があって、さらに入り組んだ道を奥に入ると、おれの住んでいたマンションがある。1階の入り口から3つめ、C号室には自転車が置いてあって、ベランダには男性ものの衣服が干されていた。当たり前のことだけど、かつてのおれの住処だったところは、今では違う誰かの生活の拠点になっていた。

マンションから数軒を隔てた先には神社がある。
神社の敷地を横切って裏手に出ると、そこは河川敷になっている。

チーム結成当初なかなかグラウンドが確保できなくて、野球をするには狭すぎるこの場所で、みんなでわいわい練習してたよな。川に落ちたボールを、衣服が濡れるのも構わずザブザブ川に入り込んで拾いに行ったりもしてた。

近くには阪急電車の鉄橋があって、数分おきに電車が通過していき、そのたびにゴーッと雷のような轟音が響きわたる。部屋で窓を閉めきっていてもハッキリ聞こえていた騒音さえ、今となっては懐かしい響きだった。

阪急のガード下の橋脚。
この壁を相手に、よくひとりでキャッチボールをしていたものだった。
橋脚に描いてあったストライクゾーンを模した四角形の的は消えていたけど、橋脚からきっかり18.44メートルの場所にはおれがスプレーで記したピッチャープレートの跡がしっかり残っていて、何だか感慨深かった。

そうこうしているうちに時間になったので、おれは試合会場となるグラウンドへと向かった。
おれはいろんなものと引き換えに、第二の故郷を失ったんだな。そんなことを想うと、少し淋しくなった。

いつの日か、おれはここに帰ってくることがあるのかな・・・?

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  1. 2008/06/17(火) 12:36:20|
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雨降って地固めて穴があったら落としたい

中学時代、おれは野球部に所属していた。
野球部は当然グラウンドで練習するんだけど、雨天でグラウンドが使えない日は校舎の廊下や階段で室内トレーニングが行われたんだよね。

廊下に一列に並んで、一斉に腕立て伏せや腹筋や背筋をしたり、二人一組になって手押し車(一方が床に手をつき、両足を相手に持たせて押してもらい、前進する。)で廊下の端から端まで往復したり、交代でお互いを背負って階段を昇降したり、かなりハードなトレーニングだった。
そんなわけで、雨が降ると憂鬱な気分になったものだし、少々の雨なら無理してでもグラウンドに出て練習をやりたいと思っていた。

グラウンドの整備は下級生の仕事。おれたちも、1年生の頃はよくやらされた。もっとも、グラウンドが使えないと地獄の室内トレーニングが待ってるから、グラウンド整備は手際よく、みんなで協力しあって率先してやってたっけな。

雨が降るとグラウンドには大きな水溜まりが幾つもできるので、まずは水を抜くところから始める。水溜まりに大きなスポンジを幾つも投げ込んで水を吸わせ、バケツに絞って排水溝に捨てる。

あらかた水を抜いたら、グラウンドの整備開始。
水気を含んでドロドロのグラウンドにトンボ(T字型をした、グラウンドをならす道具ね。)をかけて表面の泥を削る。削った泥はシャベルで掬って一輪車に集め、グラウンドの外へ捨てる。

仕上げに乾いた土(常に雨に濡れない屋根の下に盛ってある。)をグラウンドに撒いて、トンボをかけて終了。

んで、ある雨上がりの翌日のこと。
メンバーのひとりが、ちょっとした悪戯を思いついた。すぐさま同志の何人かがノリノリで意気投合する。当然(?)そのメンバーのなかにおれも含まれていた。

いつものようにスポンジでグラウンドの水を抜き、トンボをかける。当然、固まる前のセメントのような柔らかい泥が大量に発生する。
その泥を、バックネット裏へと運び込む。バックネット裏には予め深さ数十センチの穴が掘ってあって、そこに水分を大量に含んだ半ねり状の泥をどんどん流し込んだ。

こうして穴が埋まると、最後に上から乾いた土を撒いて一丁あがり。これで外見は周囲の地面とまったく区別がつかない。落とし穴の完成だ。

野球部のバックネット裏はグラウンドの外周に面していて、運動部のランニングコースになっている。なので、じきに哀れな被害者が現れるハズだ。おれたちはニヤニヤ笑いを噛み殺しながら、何喰わぬ顔で練習に加わった。

その十数分後。
バックネット裏から悲鳴があがった。トラップに引っ掛かったのは3年生の陸上部の女子だった。幸いなことに(悪戯小僧どもにとっては残念なことに)まともに正面からは落ちなかったようで、右足の膝から下だけが泥まみれになっていた。その先輩女子はショックのあまり泣き出していた。

この後おれたちは陸上部の顧問と野球部の顧問にこっぴどく叱られたことは、言うまでもない。体罰なんて当たり前だった当時、今なら確実に新聞沙汰になるぐらい、ボコボコに殴られた。

ちょっと悪ふざけが過ぎただけやのに何でそこまでシバかれなあかんねん、って当時は思っていたんだけどね。
今は、あの陸上部の先輩女子に申し訳ないことをしたなぁと思っている。

ごめんなさい、もう二度とあんな悪戯はしません!(当たり前じゃ・笑)

テーマ:部活 - ジャンル:学校・教育

  1. 2008/06/11(水) 12:36:52|
  2. 過ぎ去りし想い出
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おれもよく遊んだよ

いや、懐かしい。
下記リンク↓参照。
http://waga.nikkei.co.jp/play/leisure.aspx?i=MMWAd5000025012008
以下リンク切れ対策コピペ。改行等は適宜挿入。

エポック社の野球盤50周年で新魔球

「野球盤」(エポック社製)が5月、発売50周年を迎える。50周年を記念して一新した新モデルは、バッターの手元でボールが跳びはねる新「魔球」を実現。幼い日に熱中した「野球盤」をはさんで対戦相手と向き合えば、あの日のワクワク感が戻ってくる。

エポック社が3月22日に発売する50周年記念モデル「野球盤エース(ACE)」(5229円)は最新機能を詰め込んだ節目にふさわしい仕上がりだ。ピッチャーにもバッターにも新機構が投入され、攻めるも守るも引き出しが増えている。

新しい「魔球」はホームベース手前で浮き上がる。1972年に発売され、大ヒットした「消える魔球」の逆を行くような斬新な仕掛けだ。

新「魔球」を投げると、グラウンドの一部がせり上がり、ボールが弾かれたように宙に浮く。旧「魔球」は漫画「巨人の星」との関連性が濃かったが、今度の魔球はオリジナルアイデア。旧魔球のような落ちるタイプの変化球は実際のプロ野球でも使い手が多いが、今度はリアル野球の枠をさらに超える新発想だ。

これまでの「消える魔球」もバージョンアップ。これまではボールが消える際に、ボールが坂を下るようにして消えていた。「野球盤エース」では坂ではなく、真下に沈む「奈落」構造を採り入れ、これまで以上に落差の大きい魔球に成長した。ものすごくキレのあるフォークボールが、打者から見ると、ほとんど真下に落ちて視界から消えるような感覚に近い。

ピッチャーに新魔球が追加されるだけではなく、打者にも攻撃の幅が広がった。バッターは打撃スタンスを切り替えることができるようになった。ホームベースに向かって平行に構えるスタンスのほか、内側・外側にそれぞれ45度ずつスタンスを動かすことができる。体をかぶせてボールに向かって踏み込んだり、体を開いてボールを呼び込んだりできるので、打撃ポイントを使い分けやすくなった。長嶋茂雄氏や王貞治氏のような特徴あるスイングも真似しやすくなり、往年の大打者になりきってゲームに熱中する遊びも膨らむ。

「エポック社の野球盤」は1958年に初代モデルが発売されて以来、モデルチェンジを重ねながら累計1000万台以上を販売してきた。現実のプロ野球の進化・変遷に伴い、78年発売の「野球盤AM型 人工芝球場」、88年発売の東京ドーム「ビッグエッグ野球盤」などの変化を遂げて今に至っている。

エポック社はそもそも創業者の前田竹虎氏が野球盤を作りたいという思いから興した会社だ。野球盤は同社の主力商品であると同時に、DNAそのものでもある。

初代モデルが発売された58年。長嶋氏が立教大学から巨人軍に入団した。子供たちは実在の選手になりきってグラウンドを駆けめぐった。場内アナウンスを口真似して、打者をバッターボックスに送り出し、投手を交代させた。プレーイングマネジャーの面白みもあった。

レバーを引き、離すといった単純な手つきで動かすだけに、微妙な力加減や間合いがプレーに反映する。本物のボールを投げたり打ったりはしないが、肉体が介在するダイレクトな手応えがある。コントローラーしか使わない今時のテレビゲームとの大きな違いだ。

2007年11月に発売された「野球盤メガスタジアム」は従来商品の「野球盤DX」に比べ、フィールドの広さが2倍近い(60cm×60cm)。その理由は、大人が遊んだときに、子供の頃の身体感覚のせいで妙に小さく感じてしまうのを和らげるためだという。せっかくの気遣いだ。同世代の仲間を集めて、野球盤大会を開いてはどうだろう。盛り上がること請け合いだ。


以上、コピペ終了。
これ、我が家にも昔あったよ。
この「野球盤」と「日本特急旅行ゲーム」は、長らく友人が家に遊びに来たときの「接待ゲーム」だったな。

守備側のレバーを引いて離すと、ピッチャーがボールを投げる。このとき、空いた方の指でレバーのお尻を思いっきり弾くと剛速球を投げることができるんだよね。
レバーの隣りにはツマミがあって、それを左右に動かすと、ピッチャーマウンドとバッターボックスの中間ぐらいに埋め込まれた磁石が動く。ボールは鉄製(ひと回り小さなパチンコ玉という感じ)なので、磁石に誘導されて曲がる。つまり、カーブやシュートを投げることができるというわけ。

あとは「消える魔球」ね。
専用のレバーを引くと、ホームベース手前の地面がパカッと開いてボールが落ちる・・・というか、地下に潜り込む。当然、バットを振っても当たらない。(ただし、見送ればボール。)
応用として、レバーを引いて「消える魔球」の軌道を開けておいて、ボールが通過する瞬間にタイミングよくレバーを戻して穴を閉じると、ボールを宙に浮かせることもできた。あんまり実用性はなかったけどね。ちなみに「消える魔球」は反則というのが我が家のルールだった。

こじんまりしてたけど、バックスクリーンにはちゃんとスコアボードもついてたんだよね。
黒地に白文字で、プロ野球のセ・パ12球団のチーム名と0〜9までの数字が印刷された紙の札が付属品でついてたから、それをチームとイニングのところに挿入していく仕様。10点以上の札がなかったので、1イニング2桁得点のときは裏側に鉛筆で数字を書いて挿入してた。

ちなみに当時の12球団はというと・・・。

セ・リーグ
・阪神
・広島
・大洋
・ヤクルト
・中日
・巨人

パ・リーグ
・阪急
・近鉄
・南海
・日本ハム
・クラウン
・ロッテ

こうして見ると、セ・リーグは今もほとんど変わりないんだけど(大洋が横浜に変わったぐらい)、パ・リーグはずいぶん様変わりしてるよね。若い世代の野球ファンはどれが現在の球団の前身か、分からない方もいるんじゃないかな?





・阪急→オリックス→オリックス(大阪近鉄と合併)
・近鉄→大阪近鉄→オリックスとの合併により消滅(東北楽天は新規参入であり、近鉄が前身ではない。)
・南海→福岡ダイエー→福岡ソフトバンク
・日本ハム→北海道日本ハム
・クラウン→西武→埼玉西武
・ロッテ→千葉ロッテ

こうして見ると、プロ野球もずいぶん様変わりしたモンだな。

テーマ:懐かしのゲーム - ジャンル:ゲーム

  1. 2008/05/05(月) 14:18:18|
  2. 過ぎ去りし想い出
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65円

ひとつ前の記事で、某Mクドナルドの記事を書いたんだけど。
Mクドナルドといえば、忘れられない思い出があるんだよな。

今から7〜8年ぐらい前なんだけどね、当時勤めていた会社の経営状態が悪化して、給与の遅配や未払いが慢性化してたことがあったんだよね。その辺の事情は話せば長くなるから、また気が向いたら記事にすることがあるかもしれないけど、ここではひとまず置いといて。
とにかく働けど働けど、1円たりとも懐に入ってこない日々が続いて、会社からの未払い給与はン十万円にのぼっていたから、独り暮らしをしていたおれは毎日の食費にすら事欠く有様だった。

インスタントラーメンは半分に割って、2回に分けて食べていた。
お茶漬け海苔なんかも、半分ずつ使うのが当たり前だった。
漫才コンビ「麒麟」の田村裕ほどじゃないけれど、あの頃のおれもなかなかのレベルだったと思う。

そんな当時のおれが時々利用していたのが、冒頭に書いた某Mクドナルドね。
当時Mクドナルドでは、ハンバーガー1個65円という安売りキャンペーンをやってたんだけど。
おれはテイクアウトで1個だけハンバーガーを買って帰り、それをバラしてパンとハンバーグに分け、ハンバーグを夕食のおかずに、残ったパンを翌日の朝食にしていた。(さすがに65円のハンバーガーを1個だけ買うのは恥ずかしかったので、2回目からはポテトも一緒に買ってたんだけどね。)

ま、今となっては昔話と笑い飛ばせるし、経済的に困窮しているわけでもいない。(少なくともメガMックをためらわずに注文できる程度には、ね。)
「若いときの苦労は買ってでもしろ。」
とは言うけれど、あの頃大変な思いをしたぶん精神的にタフになれたことは間違いないと思うし、あれはあれで貴重な人生経験だったと今は素直に思ってる。

満足に働けるだけの健康な肉体さえあれば大抵のことはどうにかしてゆけると思うし、自分の人生ぐらい切り拓いてゆけるモンさね、それなりに。

テーマ:どうでもいい話 - ジャンル:日記

  1. 2008/05/02(金) 00:11:09|
  2. 過ぎ去りし想い出
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プロフィール

Author:望実(のぞみ)
性別:♂
生年月日:197x.03.09
星座:魚座
血液型:A型
出身地:兵庫県西宮市
生息地:大阪府
趣味:草野球・読書

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