さて、来年に開催される第2回WBC(ワールドベースボールクラシック)だけど。
栄えある第1回優勝国の我らが日本、ディフェンディング・チャンピオンとして無様な戦いはしてほしくないもの。
野球界としては、おそらく北京オリンピックからの流れでそのままWBCも星野監督で、っていう青写真を描いていたとは思うんだけど。
よもやのオリンピック惨敗で監督としての手腕を問われる形となってしまい、またマスコミが手の平を返したようにバッシングを始めたことから世論の風当たりが厳しくなったこともあって、監督人選からして白紙に戻ってしまった感がある。
だけどさ、おれが思うにセンイチ組長がダメなら、じゃあ誰か他に適任者がいるの?って話なんだよな。
監督として相応の実績があって、しかも強力なリーダーシップと選手たちをひとつにまとめあげるカリスマを備えた人物となると、結局王さんかセンイチ組長しかいないもんね。あとはノムさんと中日の落合監督ぐらいか。
だけど王さんは体調面で難しいだろうし、ノムさんも高齢がネックになると思う。落合監督はWBCの監督就任要請を断ったらしいし。
今シーズン日本一になった球団の監督に指揮を執らせるという案も出てるらしいけど、じゃあ仮に阪神が日本一になったら「そらそうよ。」のどんでん岡田が監督?「ムチャクチャしたれ。」ってやつですか。それも困るよ。
んで、誰かいないかなぁっていろいろ考えてたら、スゴイのがひとり残ってるじゃん。横浜ベイスターズ前監督の牛島和彦氏。
とりあえず、牛島氏のプロフィールを簡単にご紹介すると・・・。
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・1961年4月13日生まれ。大阪府大東市出身。
・浪商高(現・大体大浪商高)のエースとして「ドカベン」こと香川伸行選手(現・解説者)とのバッテリーで甲子園に出場、1979年春準優勝、夏ベスト4の活躍を見せる。
・同年オフ、ドラフト1位で中日ドラゴンズに入団。入団3年目の1982年には抑えの切り札としてリーグ優勝に貢献。
・1986年オフ、落合博満内野手(現・中日ドラゴンズ監督)との1:4の大型トレードで交換要員のひとりとしてロッテオリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)に移籍。
・移籍1年目の1987年、41試合に登板し2勝4敗24セーブの成績をあげて最優秀救援投手のタイトルを獲得。
・1993年限りで現役引退。TBSの解説者に。爽やかな語り口調と丁寧で分かりやすい解説が好評を得る。
・2004年オフ、親会社のTBSに白羽の矢を立てられるかたちで監督、コーチ未経験にもかかわらず横浜ベイスターズ監督に就任。
・マーク・クルーン投手(現・東京読売ジャイアンツ)獲得の際、球は速いが制球難だったためフロントは獲得に難色を示したが、VTRを見た牛島は「この癖なら矯正可能。」と獲得を決断。牛島の指導で制球難が直ったクルーン投手は守護神として大活躍。
・監督就任1年目の2005年には前年まで3年連続最下位だったチームをAクラス入りさせる(3位)ものの、翌年は成績不振のためシーズン終盤に辞任。
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以上が牛島氏の表向きのスペック。あくまで「表向き」ね。
んで、実はこのヒト裏の顔がスゴいんだ。(笑)
以下ネットで拾ってきた情報を列挙。ただし、信憑性は各自で判断しる。
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・高校時代は浪商の総番で、学校史上に残る札付きの不良生徒。
・酒、煙草、女の三拍子揃った高校生(笑)。
・喧嘩は無敵で負けたことが無かった。
・スパイクで後輩の顔を踏みつけるなど日常茶飯事、冬の寒空の下で川を温泉に見立て「浪商温泉」と称して後輩たちに浸からせたことも。
・甲子園のマウンドで監督からの敬遠の指示を伝えにきた伝令に対して
「投げとんのはおれや、(監督に)黙って見とけ、言うとけ!」
と追い返す。
・南海ホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)がドラフト指名しようとしたが、指名の挨拶に訪れたスカウトに対して
「おれは中日に行くから指名するな。」
と恫喝。
・中日入団初日の髪型はバリバリのリーゼントにマンガのような剃り込みで、先輩の星野仙一投手(現・阪神シニアディレクター)から厳しい「指導」を受けた。
・ミーティングの席で稲尾和久投手コーチ(故人)が投手陣に
「1点リードの9回裏2アウト満塁カウント2-3からどんな球を投げるか?」
と質問。投手たちはストレート、カーブ、フォーク等各自の決め球を答えるなか、当時まだ高卒ルーキーだった牛島だけが
「どのような状況で2-3になったかによって最後に投げる球は変わってくるから答えられない。」
と返答、稲尾コーチを感嘆させた。
・東京、大阪、名古屋でそれぞれ百人斬り達成。曰く
「東京の女の子はあっさりしてる。大阪の女の子はたこ焼きみたい。」
・ロッテ時代から奇行が目立っていた「あの」伊良部秀輝投手も、牛島の前では借りてきた猫だった。
・石橋貴明(とんねるず)曰く
「浪商の牛島ってスゴい(悪いヤツ)らしい。」
という噂が東京の帝京高校まで知れ渡っていたとのこと。
・解説者時代、当時ジャイアンツに在籍していた「番長」こと清原和博選手(現・オリックスバファローズ)にインタビュー。清原選手はビビりまくって大量に汗をかいていた。
・横浜ベイスターズ監督就任後の一時期、Googleで「インテリヤクザ」と入力して検索すると横浜ベイスターズの公式サイトがトップに出てきていた。
・2005年の交流戦で不振だった村田修一選手の打順を9番に降格。その村田選手に
牛島「9番の次の打順は知ってるか?」
村田「1番です。」
牛島「あほか、次は無いんじゃ!」
と一喝。村田選手はその試合で決勝タイムリーを放ち、ヒーローインタビューのお立ち台で
「生死を賭けて打ちました。」
とコメント。
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以上、どーですかお客さん。(笑)
これ以外にも噂はいろいろあるけど、あんまり詳しく書くと牛島組長のお友達のドラム缶くんとコンクリートくんと仲良しにさせられて海水浴に連れて行かれるので、これ以上は書かないでおこう。(笑)
そんな牛島くみてふのお顔をご存知ない方のために顔写真をご紹介。
http://f45.aaa.livedoor.jp/~livebay/pukiwiki14/pukiwiki.php?plugin=attach&openfile=1127028491138.jpg&refer=%B5%ED%C5%E7%CF%C2%C9%A7このメンチの切り方は筋金入りだね。(笑)
来年は牛島くみてふと共に苦難を乗り越えてゆくWBC日本代表の姿が見られる・・・かも。(いや、その可能性は低いだろうけど・笑)
テーマ:野球全般 - ジャンル:スポーツ
- 2008/09/04(木) 08:22:46|
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